平成29年7月18日
高校時代、地獄のような旅を二度決行した
あれを旅と言っていいのだろうか、それすら躊躇するような修行っぷりだった
無計画も良いところで、肉体の疲弊を一切考慮に入れることのない旅だ
とはいえ派手でなく、話題性のない地味さがさらに修行のような雰囲気を醸し出す
目的は精神鍛錬だった
当時の自分は精神力の強さだけがこの世界を生きる為の原動力たり得るのだという思想があったのだ
気合いでなんとかなる、根性をみせろ、帝国陸軍根性論の民なのである
そんな自分はマレー半島をシンガポール目指して縦断する銀輪部隊の如くママチャリに跨った
移動手段はこれ一本、二枚の銀輪が大地を噛み、遥か遠方を目指す
これがこの旅の正体である
地味な旅の内容については割愛
そして本題
人間は苦しければ苦しいほどオフトンが恋しくなる
忘れもしないあの日光街道、無限に続くと錯覚するような坂道、どれほどオフトンに飛び込み永眠したいと思ったことか
オフトンを手にすることができるなら何でもする
名も知れぬラーメン屋の裏手、コンクリート上での睡眠はさらにオフトンへの恋しさを助長していった
狂おしいほどオフトンが恋しい
I love オフトン
I want オフトン
そんな感情を抱いた時があったのだ
ところがどっこい、時代は現在平成29年7月18日、あれだけ恋しかったオフトンが当たり前の世界になっている
毎日ひたすらにオフトンを貪り、貪り、貪り尽くす世界である
オフトンへの愛情はそこにはなく、ありがたみも感じない、当たり前の存在となった
もはやオフトンで寝るという行為がマンネリ化し始め、飽きてきた
あれだけ恋しかったオフトンでも、摂取し続けると、飽きがくる
幸福は飽きてしまうのだ
次にオフトンの幸福感を噛み締める時はいつになるだろう
そろそろ修行の準備を始める時が来たのだろうか