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せかいはせーりつされたことがらのそーたいである

軽量化と沼男

【軽量化】

ジブリ映画「風立ちぬ」で庵野秀明演じる堀越二郎が「機関銃を乗せなければ軽くなるんだけどね」というジョークを言って、その場にいる技術者一同を笑わせるシーンがあった。戦闘機の設計で機関銃を外すという元も子もないジョークなんだけど、案外、今まで重要だと思っていたものを捨て去るような奇抜な発想が役に立つ事がある。

 

そこで奇抜にも、過去の記憶を捨て去ることによる自分の軽量化を思いついた。

 

自分が過去に記憶してきたことは膨大で、その中には後ろめたいものも含まれる。だから過去の記憶全体については責任が持てない。しかし今の意識は、刻の流れの最前線のほんの僅かな一瞬なので、現行で後ろめたい事をしていない限りは後ろめたい事は何もない。

つまり過去の記憶を捨て去れば、軽量な今の意識だけにのみ責任を持ちさえすれば良いので、楽。

 

【沼男】

ある男がハイキングに出かける。道中、この男は不運にも沼のそばで、突然雷に打たれて死んでしまう。その時、もうひとつ別の雷が、すぐそばの沼へと落ちた。なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥と化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう。

この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。スワンプマンは原子レベルで、死ぬ直前の男と全く同一の構造を呈しており、見かけも全く同一である。もちろん脳の状態(落雷によって死んだ男の生前の脳の状態)も完全なるコピーであることから、記憶も知識も全く同一であるように見える。沼を後にしたスワンプマンは、死ぬ直前の男の姿でスタスタと街に帰っていく。そして死んだ男がかつて住んでいた部屋のドアを開け、死んだ男の家族に電話をし、死んだ男が読んでいた本の続きを読みふけりながら、眠りにつく。そして翌朝、死んだ男が通っていた職場へと出勤していく。

スワンプマン - Wikipedia

 

Donald Herbert Davidson(1917-2003)のスワンプマン(Swampman)という思考実験では、自分の完全なコピーは自分なのか?という疑問が投げかけられる。自分が完全に再現されたスワンプマンは、雷に打たれて死んだ自分と同一なのだろうか?

 

スワンプマンは自分の完全なコピーなので、記憶は雷に打たれた自分と完全に一致する。なので「過去の記憶によって自分が構成される」と考えるのならば、スワンプマンは自分と同一。

対して「刻の流れの最前線のほんのわずかな一瞬の意識によって自分が構成される」と考えれば、スワンプマンは自分と同一ではない。何故なら自分の意識は雷に打たれて既に絶たれているから。

 

つまり「スワンプマンは自分と同一ではない」という考え方は、「自分」の正体は「過去の記憶」ではなく「今の意識」であると仮定する事によって出来るようになる。

 

先ほどの【軽量化】の案は、この「スワンプマンは自分と同一ではない」とする考え方と共通する。どちらも過去の記憶には目を向けず、今の意識にだけ焦点を当てているから。なので自分を軽量化するなら、スワンプマンの思考実験においても【軽量化】と共通した考え方を信じなければ、一貫性が無い。よって自分を軽量化するには、筋を通すために、「自分とは何なのか?」という難解な問いにおいて一方向に舵を切らねばならなくなった。つまり自分とは今の意識であり、過去の記憶ではない。

 

こうして、今の意識こそが自分の正体であると信じる事になった。昨日の自分は他人である。頑張って信じよう。

 

と、決意を固めた次の瞬間、雷に打たれて死亡した。