私は山を舐めているので、登山経験がほとんど無いにも拘らず、高尾山の中でも難易度が高いと言われている六号路を制覇するという大志を抱いて、頑なに眠り続けた酔っ払いが辿り着くという世界の果て「高尾山口駅」に降り立った。
高尾山口駅からしばらく歩くと山麓のケーブルカー駅に着く。他のコースならばケーブルカーに乗れば途中までコースをスキップできるのだが、六号路にはまだそのような高度なインフラを扱える文明は訪れていないので、山頂までひたすら己の脚で登るしかない。立派なケーブルカーの駅舎を横目に、左脇のつまらない道路を進む。
しばらく歩くと、禍々しい瘴気を放つ六号路の入口が現れる。
苔が生えていてエンシェントみがある石柱。どうやら六号路の道中には修行に使われている瀧があるらしい。
入口の看板に「森と水」と書いてある。碌に調査もしていないので知らなかったが六号路のテーマだろう。
入山した。しばらくは均されたような道が続く。勾配も緩やかなので西東京の森のバイオームを鑑賞しながら余裕を持って歩いて行く。すぐ横には沢が流れており、涼しげな水音が聞こえてくる。とはいってもこの時の気温は30度overで、既に自律神経が猛暑と格闘していて汗ダラダラ。
不気味な気配を感じると、深緑の岩壁にぽっかりと空く黒い洞穴があった。六号路入口で感じた瘴気はここから出ていたんだ・・・。あまりにも強い瘴気だったので、怖くなってすぐに退散した。
さらに進むと修行場に着いた。ここで修験者は瀧に打たれるのだろう。神聖な結界で封鎖されていたため、邪悪な心を持つ私は結界に阻まれて、近くで瀧を見ることは出来なかった。
ここからは修験者すら立ち入らない路。だんだんと険しくなってきた。ところどころ樹木のエナジードレインによって行く手が喰われている。山が、喰うか喰われるかの厳しい世界である事を認識した。
不安定な樹木の根を乗り越える度に、脚のエナジーを吸い取られながら登っていると、稜線の向こう側にベンチがチラ見えした。アクエリを水道水で薄めた2ℓペットボトルを持って来たので座って飲んだ。周りには動植物しかいないので、デカいペットボトルをラッパ飲みしても恥ずかしくない。
名残惜しいベンチを発ち、再び鬱蒼とした山林を登り進める。体力は回復したが猛暑の勢いは止まらず、服は汗でベチョベチョ。脱水症を危惧し始めた。
疲れてきたところで2回目のベンチとの邂逅。ベンチを見つけると脳から、出てはいけない幸せになるホルモンが出るようになった。
ちょろちょろと流れる沢に、苔むした倒木。そういえば六号路のテーマは「森と水」だった。路は狭く険しく、油断をすると山に喰われる。そう、ここは喰うか喰われるかの厳しい世界。
暑い・・・疲れた・・・勾配がキツい・・・ベンチ・・・どこ・・・。
三叉路に尖った岩が置かれていた。これはただの尖った岩でしかなく、ベンチではないが、疲労困憊の私にとってこの岩はベンチにしか見えなかった。尖っている事なんてこれまでの疲労に比べたら些細な問題で、尻の痛みを代償に英気を養った。
これは驚いた。六号路は沢を直に登れとおっしゃる。高尾山が繰り出す「森と水」の奥義が牙を剝いて襲い掛かる。
路はどこまでも沢の流れでビシャビシャで、おまけに険しい。ここにきて通気性の良いメッシュ生地の運動靴を履いてきたことを後悔した。足場に注意を向けながらの歩みは体力消耗を加速させる。
やっとの思いで、奥義「森と水」を越え、登り進めると人工物が見えた。あれは・・・ベンチ・・・じゃないな・・・あれは・・・階段・・・?
——地獄の階段編が始まる。
これを作った人はゲームバランスを考えていない。果てしなく続く階段に絶望し、登ることをしばらく諦め、一段目の縁に座りうなだれた。
数十段登っては情けなく縁に座り、また数十段登っては座り・・・を何度も繰り返し、それでもまだ階段は続く。疲労と暑さはピークに達している。一体どこまで続くんだ。
階段を乗り越えるとそこはエデンだった。恋焦がれていたベンチがたくさん配置されており、幸せホルモンがドバドバ。
心ゆくまでベンチを堪能してからエデンを通過すると舗装された道に出た。そして遠くに見えるのは・・・建物?
舗装された道は水道へと繋がっていた。ペットボトルは既にカラ。運動部の中学生みたいに蛇口を上に向けてゴクゴク飲んだ。周りにはいろいろな施設があるし、きっとここはほとんど頂上に近い場所なんだ。
邪悪な気配を感じると、序盤に見つけた洞穴をはるかに凌ぐほど強い瘴気を出す「氷」の旗がはためいていた。これはとても恐ろしい。修行が足りない私は一瞬のうちに体の自由を奪われて店に吸い込まれた。
きめ細かい氷の粒が食道を通過して胃に落ちる。美味すぎて失神しかけた。なんだいこの、不気味な青白さで光る食べ物は。
そして高尾山の頂上に到達した。
山を舐めていたせいで山に喰われかけたが、そのおかげでかき氷が美味しかった。既にもう、思い出がかき氷しかないほど美味しかった。絶景とかどうでもいい。ここは喰うか喰われるかの厳しい世界。記憶がかき氷に喰われてしまった。かき氷を喰ったつもりがかき氷に喰われてしまった。さらば高尾山。いつか、こんどこそかき氷を喰いに来よう。あと、幸せな気分になれるベンチにも座りに来よう。
高尾山口駅は、泥酔した状態で京王線に乗るとごく稀にたどり着けるという、ポケモンのマボロシ島みたいな駅です。みなさんも高尾山口駅に運よく辿り着いてしまった際には、始発を待つついでにふらりと登山なんていかが?