これは「まんじゅうこわい」のようなとんちの利いた話ではなくて、本当に怖い物の話である。なぜ幸福が怖いのか説明する。不幸な時に小さな苦痛、例えばアイスバケツチャレンジを行うのは容易い。しかし幸福な時のアイスバケツチャレンジは不幸な時に比べて行うのを躊躇する。これは不幸な時に比べて幸福な時はアイスバケツチャレンジによる苦痛の落差が大きいからである。つまり幸福であれば幸福であるほど苦痛に対する耐性が弱くなるのだ。幸福な時は苦痛が怖い。よって私は幸福が怖い。
いま私は2008年のアニメ「CLANNAD AFTER STORY」を見ている途中だ。そして動悸と冷や汗がすごい。これはまごうことなく私が幸福を恐れているからだ。私は突然、幸福の渦中に投げ込まれてしまった。恐怖が私の体調に現れるほど今の私は幸福が怖い。もし、この劇中の幸せな家庭に亀裂が走ってしまったら私の精神は崩れ落ちるだろう。そんなこと想像もしたくない。本当に怖い。
私は一話一話、おそるおそる再生しているが、ついに手が止まってしまった。この再生ボタンを押してしまったらこの幸福な家庭に何か災いが起きるのではないか、不安で、もうこれ以上話を進めたくない。永遠に現在で時を止めてしまいたい。私には恐怖に打ち勝つ精神がないのだ。不確定な未来へ足を一歩進められない。闇に包まれた一寸先が怖すぎる。
頭をバカにして勢いで再生してしまおうと酒も飲んだ。しかしそれでもごまかしきれない恐怖が私を襲う。
こんなにも幸福は怖いのに、いったいどういう神経をしていたら幸福になろうとするんだ。しかし私は次の話の再生ボタンを押さねばならない。なぜなら私の神経はイカれているから。
みんな、俺は行ってくる。
【以下追伸2022/02/06】
・アイスバケツチャレンジの例が難解だと思ったので、私が経験の中で暫定的に捉えている、この世界を構成する要素である「不幸・幸福・苦痛・快楽」について記述し、これを補足説明とする。「不幸」と対になる要素が「幸福」である。「苦痛」と対になる要素が「快楽」である。「不幸・幸福」は長期的な作用をもたらす。「苦痛・快楽」は短期的な作用をもたらす。連続した短期的な作用は、長期的な作用になる。長期的な作用は、連続した短期的な作用に分解できる。
・「CLANNAD AFTER STORY」には心情を揺さぶられたが、その要因は主に恐怖が占めている。私は持ち上げて落とすシナリオ構成よりも、落して持ち上げるほうが好きだ。絶望の淵まで真っ逆さまに落ち、地獄の底を這いずることにより私は初めて恐怖を忘れ、安心するのだ。
・とはいうものの本作は名作である。きっと貴方が視聴しても人生の時間が無駄になることは無いだろう。前作の「CLANNAD」を視聴しないと訳が分からないので注意。