コンピューターを利用した論理的で美しい統計による競馬予想は、従来の人間の感覚に頼った競馬予想よりも高い精度を発揮しているのだろうか。多くの主要な競馬予想に用いる要因について、前者は後者を置き去りにするほど高度な研究が進められてきた。コンピューターは人間よりも多くの情報を、人間が持つバイアスを取り除き、素早く、計算ができる。故に私は現代の競馬においてコンピューターを使わない競馬予想は時代遅れで、精度が劣っていると考える。
しかしあらゆる点で感覚による競馬予想が劣っているわけではない。コンピューターを使えない人間は、使える人間に比べて年齢が老いている傾向がある。つまり彼らは人生に費やしてきた時間はもちろん、競馬に費やしてきた時間においても優っている人が多いのだ。
競馬予想では予想に用いる要因をどのような切り口で、どのように解釈するかが非常に重要である。たとえば騎手という要因を、騎乗している騎手によって大きく勝率が異なるという切り口で見て、騎手は競走馬の能力に大きな影響を与えると解釈するのか、能力の高い馬に評判が良い騎手が乗っているのか、と解釈するのでは予想結果に雲泥の差が出る。もちろん競馬は我々が生きている世界の構造の基で成り立っているので、どう解釈するのかの正解、真実は存在する。しかし、たとえコンピューターを使った競馬予想でもそのアルゴリズム構築は人間が行うので、ここで真実から大きくかけ離れた解釈をしてしまった場合、的外れな計算による誤った予想をしてしまう可能性が高い。その点では人よりも多くの時間を生き、多くの時間を競馬に費やしてきた彼らは多くの知識を蓄えているので、人生や競馬の経験が浅い人間よりも真実に近い解釈をしうる。
また、彼らはあらゆる要因に切り口を入れることができる。たとえば気温や湿度などの気象条件という要因にメスを入れるためには、それらが馬にどのような影響をもたらすのかという知識がなければ難しい。大衆によって多く語られてきた要因 だけを組み込んだ競馬予想では、いかに正確にそれらを計算して予想しても、それらの要因はすでに大衆によってオッズに盛り込まれているので、秀でた回収率が期待できる馬を選択することができない。一見荒唐無稽にみえる、大衆によって語られていない要因にメスを入れることが競馬予想では非常に重要であり、それらにメスを入れるためには彼らがもつ多くのニッチな知識が必要なのである。