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せかいはせーりつされたことがらのそーたいである

令和2年10月19日

感情に任せて発せられた言葉は意味をなさない場合がある。

 

自分は自分の感情も言葉の意味も理解しているので、自分は自分が感情に任せて発した言葉が何を表すか正しく理解できる。

 

しかし、自分以外の者は、自分でないので、確率的に感情や言葉の意味を推測できるに過ぎない。

 

よって、感情に任せて発せられた言葉を正しく理解できるのは自分だけである。

 

相手が自分の言葉の意味を推測できない場合、言葉が持つ真の意味は伝わらない。

 

感情に任せて言葉を発する場合は、「相手が自分の言葉の意味を推測できるかどうか」を推測してからでないと、言葉の意味が伝わる保証はない。

 

お互いが高い確率で相手の言葉の意味を理解できる関係でなければ、感情に任せて発せられた言葉は無意味である。(逆に言えば、関係によっては意味が伝わる)

 

 

 

 

たとえ、お互いに意味が伝わる関係であっても、第三者には意味を曲解される恐れがある。

 

閉鎖的な空間でなければ、意味が伝わる関係であっても、感情に任せて言葉を発するべきではない。

 

閉鎖的な空間の中であり、感情的な言葉の意味が分かりあえる関係でない限り、そこで交わされるすべての言葉は論理的であるべきだ。(たとえ涙が流れようが怒りに手が震えようが、我々は論理的な言葉を使用して表現しなければならない)