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せかいはせーりつされたことがらのそーたいである

2022年5月29日

福沢のゆきっちゃんがいってた

勉強した人が偉いって

でもね

勉強したほうが偉かったのは

ゆきっちゃんが学問ノススメを書いた明治初期という時代においてであって

旧石器時代に偉かった人はたくさんマンモスを倒した人かもしれないし

2022年に偉い人はチャンネル登録者数が多い人かもしれない

 

 

さらに時代という区分以外にも

世の中にはたくさんの区分があって

区分ごとに評価が違うので

人の偉さを判定するのは難しい

イタリア人で偉い人はおいしいパスタが作れる人かもしれない

 

 

さらにゆきっちゃんの価値観のなかで偉いという評価を下すのであって

価値観が変われば偉さの評価も変わる

やっぱりイタリア人で偉い人はナンパをたくさんする人だ!

 

 

そもそも偉いという評価がおおざっぱすぎて伝わりにくい

「ナンパをたくさんする人」と言えばいいものを

「偉い」という広大すぎる言葉だけで表すと多種多様の誤解を招く

ゆきっちゃん「あの人は偉いんだよ(ナンパをたくさんした実績がある)」

あなた「へー(きっとたくさんマンモスを倒した人なんだなあ)」

 

 

だからね

ゆきっちゃんはこう言うべきだ

「明治初期の日本人は勉強をたくさんすれば国家の繁栄に寄与できる可能性が高く、わたくし(ゆきっちゃん)は国家の繁栄に寄与する人が偉いという価値観を持っておりますので、勉強をたくさんする人は偉いのです。」

 

 

でもちょっとまって

これってそもそも

「明治初期の日本人は勉強をたくさんすれば国家の繁栄に寄与できる可能性が高い」という具体的な事実だけでよくて

偉いとか偉くないとかいらなくね?

「わたくし(ゆきっちゃん)は国家の繁栄に寄与する人が偉いという価値観を持っております」とか

「勉強をたくさんする人は偉いのです。」とか

いらなくね?

偉いとか偉くないとかは結局

ゆきっちゃんがどう思ってるかであって

ゆきっちゃんがどう思ってようと

どうでもよくね?

 

 

偉いとか偉くないとか

良いとか悪いとか

上手いとか下手とか

抽象的な言葉にはあまり意味がなくね?

大きいとか小さいとか

多いとか少ないとか

高いとか低いとか

具体的な表現だけでいいんじゃないの?

 

 

ゆきっちゃんがブイブイ言わせてた頃のちょっと後にね

オーストリア産まれのね

Wittgensteinっていう哲学者がブイブイ言わせるんだけど

もしかしたらこのWiっさんが示した「語り得ぬもの」のなかに

偉いとか偉くないとか

良いとか悪いとか

上手いとか下手とかが

含まれるかもしれないんだよね

 

 

Wiっさんは倫理的なものが「語り得ぬもの」に含まれることを示したのだけど

偉いとか偉くないとかはゆきっちゃんの価値観によって決まるもので

これはまさにゆきっちゃんの倫理とか道徳だよね

つまり

偉いとか偉くないとかは

倫理的なものなので

「語り得ぬもの」なのだ

 

 

Wiっさんは結局「語り得ぬものは沈黙せねばならない」という「語り得ぬもの」を言って著書を締めくくるのだけれど

Wiっさん自身がこのようなジョーク的なことを言っているように

「語り得ぬもの」は面白いのだ

魅力があるのだ

 

 

だから

「明治初期の日本人は勉強をたくさんすれば国家の繁栄に寄与できる可能性が高い」

という具体的な事実だけでは面白くない

「わたくし(ゆきっちゃん)は国家の繁栄に寄与する人が偉いという価値観を持っておりますので、勉強をたくさんする人は偉いのです。」

とまで言ったほうが面白い

ゆきっちゃんがどう思っているか

ゆきっちゃんがどのような価値観を持っているかということに

とても魅力があって

もしかしたらそれがとても大切なのかもしれないのだ

 

 

偉いとか偉くないとか

良いとか悪いとか

上手いとか下手とかには

人の倫理や道徳が垣間見えて面白い

魅力がある

 

 

でも「国家の繁栄に寄与する人が偉い」と思わない人にとって

「国家の繁栄に寄与する人が偉いという価値観」は

とってもfuckingな倫理や道徳だよね

だからゆきっちゃんの存在は

ある人にとっては

とってもモラハラ的な存在だよね

ゆきっちゃん「あの人は偉いんだよ(ナンパをたくさんした実績がある)」

あなた「へー(きっとたくさんマンモスを倒した人なんだなあ)」

ゆきっちゃん「だからあの人は美容に気を使っている」

あなた「美容とかどうでもよくね?」

ゆきっちゃん「どうでもよくなー--い!!」

 

 

倫理や道徳は面白いけどモラハラ的なのだ

モラハラと面白さはトレードオフなのだ

モラハラ的な人がきらいなら

倫理や道徳を削り落とし

面白さを求めるなら

倫理や道徳で縛り上げる

 

 

倫理や道徳を削り落とした先には

「天は人の上に人を創らず」的な世界が待っているし

倫理や道徳で縛り上げた人には

「私は人の上に人を創る」的な世界が待っている

 

 

倫理や道徳は人生のレバレッジなのだ!

 

 

ということは

Wiっさんの

「語り得ぬものは沈黙せねばならない」的な立場は

ぜんぜんレバレッジの利いていない

ものすごく平穏な世界なんじゃない?

Wiっさんの世界は

「語り得ぬものは沈黙せねばならない」自体がもつ面白さしか存在しないんじゃない?

 

 

あなたは人生にどのくらいレバレッジを掛ける?